ロシアが、西隣にあるウクライナを相手に戦争を始めました。ウクライナの街はミサイルで壊され、一般市民の犠牲者も出ています。犠牲者には子どももいます。どうしてこんな悲しいことが起こっているのか?
日本の「隣の隣の国」でおきる身近な危機
いつ、どこで、なにがあったのか?
2022年2月24日(現地時間)、ロシアが、その西側で隣り合っているウクライナに、軍隊のミサイルや戦車を使って攻め込みました。
どうして攻め込んだのか?
理由は大きく2つ。
①ロシアと仲が良くないグループに、ウクライナが入るのを邪魔するため。そのグループは、アメリカやヨーロッパの国々でつくる北大西洋条約機構(NATO、ナトー)です。ロシアがまだソビエト連邦だった頃に、敵対するグループとしてできました。今は30か国が、お互いの国を協力して守り合っています。
②ロシア政権が「ロシア人とウクライナ人は一体である」という自分たちの考えだけで、ウクライナに言うことを聞かせたいから。ロシアにとっては、ウクライナは「ロシア発祥の地」ともいえる場所です。ロシアは、ウクライナ領土のうちクリミア半島を2014年3月に自国に取り込み、今回の攻撃直前には東部の2地域を「別の国」と勝手に認めて支配下に入れています。
どうして今なのか?
ウクライナに言うことを聞かせる方法として、軍事力しかなくなったから。ロシアは毎年冬になると、暖房に必要な「天然ガスをやらないぞ」とウクライナに圧力をかけていました。ただ、ウクライナが、天然ガスをロシア以外からも手に入れるようになり、脅しの効果がなくなってきていたのです。
日本と世界の反応は?
日本も、多くの国々も、軍事力を使って無理やり言うことを聞かせようとするやり方は国際ルールを破っていると考え、ロシアを責めています。第二次世界大戦以来の大きな戦争になるかもしれず、世界の自由と平和の危機であると心配しています。
日本と欧米の国々は協力して、ロシアとの輸出・輸入、お金のやりとりをやめて、経済的に孤立させることで、攻撃をやめさせようとしています。
欧米の国々は、ウクライナがロシアの攻撃に負けないように武器も渡しています。
わたしたちの生活への影響は?
石油や天然ガスがたくさん取れるロシアからエネルギー資源が手に入らなくなれば、世界的に石油や天然ガスの値段が上がります。石油を使う製品や、火力発電などの費用が高くなり、モノの値段や電気代が上がるかもしれません。
ウクライナは穀物をたくさん作っている国です。エネルギー資源と同じように、小麦粉やパン、麺などが値上がりするかもしれません。穀物をエサにしている豚や牛などの畜産業にも影響が出そうです。
家庭でも考えよう
日本は、ロシアの東隣の国です。実は、ウクライナは遠い国のようで、ロシアを挟んで、日本の「隣の隣の国」です。そんな身近な国が、今、どういう状況に置かれているのか。報道やSNSなどで発信されています。ウクライナ現地の人たちの言葉に耳を傾けてみましょう。
ウクライナってどんな国?
旧ソビエト連邦の国で、ロシアとNATOの国々に挟まれた位置にあります。首都はキーウ(キエフ)です。ルーツが同じロシアとは「兄弟国」といわれ、人口の2割ほどがロシア人です。伝統料理ボルシチやコサックダンスなど、ロシアのものと思われている文化も、元々はウクライナの文化です。
「黒土」という栄養がたくさんある土地で、小麦やトウモロコシ生産など農業が盛んです。またIT産業も盛んで「東欧のシリコンバレー」とも呼ばれます。経済的にまだ貧しいですが、豊かになっていく可能性を大きく持っています。
旧ソビエト連邦時代に原子力発電所の爆発事故がおきたチェルノブイリがあり、日本と同じで原子力発電事故を経験している国です。
ロシアってどんな国?
旧ソビエト連邦の中心国。首都はモスクワです。国際連合で最も権限を持っている安全保障理事会の5つの常任理事国の1つ。反対すれば、すべての議案を不成立にできる「拒否権」を持っています。世界で公式に認められている核保有国でもあります。
世界で一番面積が広く、エネルギー資源もたくさん取れます。
日本も天然ガスなどの多くのエネルギー資源を輸入しています。一方で、北方領土をめぐる領土問題を抱えています。
ウクライナ研究の専門家、岡部芳彦(2022年3月4日 配信)より
平和ってなんでしょう?
「平和とは何か?」とは、随分と大きな問いですが、たまにはそういう問いについて考えてみてもいいのではないでしょうか!
辞書による「平和」の意味は、「戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること」(広辞苑)となっています。
因みに、平和構築活動をしている非営利団体、International Alert の定義によると、「平和」とは、
・暴力の恐れや脅威を感じることなく、また、立法上のみならず実際の生活においても、いかなるかたちの暴力も容認されることなく、すべての人が安全に暮らせる。
・すべての人が法の下において平等であり、司法制度が信頼でき、公平かつ効果的な法律が人々の権利を守るべく機能している。
・すべての人が政治的意思決定に参加することができ、政府が国民に対して責任を担っている。
・すべての人が、豊かな暮らしに必要な基本的なもの(食料、清潔な水、住まい、教育、医療、適切な生活環境など)に公平かつ平等にアクセスできる。
・性別、人種またその他のアイデンティティに関わらず、すべての人が、就労・生活する機会が平等に与えられている。
と、このような状態を指します。
平和というのは、築き上げるもの
International Alert による定義に習うと、平和というのは、基本的人権が侵害される恐れがなく、そして、その実現のために、国家が正常に機能し、尽力している状態、と言えます。
とすると、世界各国、現状を見回してみると、「平和な国」といえる場所はかなり少ない気がします。
後、例え平和な国や地域であっても、そこに住むひとりひとりの個人レベルでは、心配事や苦難にあって「心の平安」がないという人も多いかと思います。
更に言うと、「いつも平和、心配ごとは別にないし」と思っている人も、実は現実を直視せず、問題を看過しているだけ、という可能性もあります。
なにも、悲観的になれ、と言っているわけではありません。寧ろ、悲観論は建設的な言動を妨げやすいので、良くありません。
認識すべきなのは、戦争がなかったら「平和」というような、そんな単純なものではない。
もし、現在、「自分は内的・外的に平和な状態にない」と感じているなら、何が問題かを見据えて、改善に向けて行動する必要があります。
一方、「自分は平和な状態にある」と思えるなら、まずは、その恵まれた状態に感謝しましょう。そして、平和でない国や地域、また、心の平安を欠いている人々に、何をしてあげられるかを考えましょう。
平和を実現する働きの一端を担うには、なんらかの行動を要します。
“It isn’t enough to talk about peace. One must believe in it. And it isn’t enough to believe in it. One must work at it.”(「平和を説くだけでは充分ではない。人は、それを信じなければならない。そして、信じるだけでは充分ではない。平和のためには実行しなくてはならない。」)
エレノア・ルーズベルト (Eleanor Roosevelt: 第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの妻で人権擁護活動家)の言葉です。
どうすれば平和になるのか?
世界平和のためにできることは?
「家に帰って家族を愛してあげてください!」
とマザー・テレサの名言は有名です。
以下、マザー・テレサの名言を紹介します。
「もし平和が得られていないなら、それは私たちが仲間だということを忘れているからです!」
「平和は微笑みから始まります!」
「いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう!笑顔は愛の始まりですから!」
「誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人への素晴らしい贈り物となるのです!」
「愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです!」
「人を批評していると、人を愛する時間がなくなります!」
「最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思いなのです!
大切なのは、どれだけ多くを施したかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛を込めたかです!大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛を込めたかです!」
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません!ただ、挑戦することを望んでいるだけよ!」
マザー・テレサ
カトリック教会の聖人。
修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。
ノーベル平和賞受賞。
国: 現在のマケドニア共和国
生: 1910年8月26日
没: 1997年9月5日(享年87)
平和への考え方(平和の3原則)
- お互いに話し合う
- お互いのどこに違いがあるかを理解し合う
- お互いに歩み寄る
感情的にならずに、互いを見つめ合うことが平和への第一歩ではないでしょうか?
また、自分の中の「正義」が芽生えてしまうと、相手は「敵(悪)」になってしまいます。争いはそこから始まってしまうものです。結局は、正義と正義の戦い!自分が「正しい」と思い込むことこそ危険な状態です。
相手はなんでそう思ったのか?を考える。
相手はなんで自分を理解できないのか?を考える。
相手にどうしたら近づけるか?を考える。
相手を許し、受け入れることも大切です。人は誰しも罪を犯してしまいます。そこで反省し、自分の成長に変えられればいいのです。
相手を否定し、責める必要はありません。気づきましょう!
相手を尊重し、自分も尊重されるように努力をする。待っていては、尊重されません。人のために生きることは、「損」ではありません。まわりまわって、自分へとかえってきます。それは「悪事」もそうです。楽をすれば楽をした分だけ、何らかの代償としてかえってきます。
先ずは、「自分のため」に生きる。そして、「身の回りの人のため」に生きることに気がつき、やがて「世の中のため」に生きることを学びます。
わたしたちひとりひとりが「今、何ができるか?」を考え、行動してみませんか?
人生は勝ち負けではなく、誰かに勝ってもいつかは誰かに負けてしまいます。一生勝ち続けることよりも、右の人、左の人と仲良くすることの方が平和的で幸せな行為ではないでしょうか?
「自分さえよければいい!」人は一人で生きているわけではありません。他人を批判や否定するのではなく、相手を尊重し、相手のために生きてみましょう!世界の中心は自分ではなく、世界平和のために、自分が世の中の小さな歯車であり、どんな歯車になれるかを考えてみましょう!それが、平和への第一歩かもしれません。